漢字が書けないことが誇らしいと思えた出来事 千葉リョウコ×山本さほ対談(2)

※本対談は2020年4月にcakesに連載されたものを、許可を得て転載しております。

第2回 漢字が書けないことが誇らしいと思えた出来事

もし今子どもに戻れるとしてもトレーニングはしない。人生をやり直せるとして、この障害がない人生と今の人生だったら、今のほうを選ぶと思うと言う山本さほさん。そう思うようになったのは、漫画家になってからだと言います。

千葉リョウコ(以下、千葉) 山本さんがトレーニングをしないと言えるのは、ナツと同じく重症度がそこまで高くないからという面ももちろんあると思うんですけど、それでも、社会に出てからもいろいろ苦労されてきたわけじゃないですか。どうして今の人生のほうを選ぶと言えるんですか?

山本さほ(以下、山本) 字が書けなくて「いいこと」って今までなかったんですけど、漫画家になってからは受け止め方が変わりました。漫画にも描いたんですけど、この話をするたびに、尊敬する先生方からも「おれもおれも」「わたしもわたしも」って言われることが多くて、今まで漢字が書けないって言わなかっただけで、そういう方は多いんだなと思ったんです。

千葉 そういえば、私も『うちの子は字が書けない』を出した時に、漫画家の友達何人かに私もそうだよって言われて驚きました。

山本 ね、けっこう多いんですよね! そうなると、なんかうれしくなってきて「もしや私は選ばれし者!?」みたいな……(笑)

 たとえば「左利きのひとに天才が多い」とか聞くと、天才じゃなくても左利きだったらちょっとうれしいじゃないですか。そういう感じで、尊敬する漫画家の先生たちと同じっていうのが、すごくうれしくて、漫画家になるために生まれてきたんじゃないかぐらいに思えて。そうしたら、30年ぐらい漢字が書けなくて嫌な思いしてきたのが、全部ふきとぶぐらいで。

 こうやって漫画にできたのも、ちょっと誇らしいぐらいにまで感じ方が変わってたからなんですよ。

千葉 すごい! そんな風に思えるんですね!!

 山本さんのその前向きさは、どこで培われたものなのか気になります。学校の先生には、100回同じ字を書かされたりと、今考えるとひどい対応をされたこともあったわけじゃないですか。

大人になったら書けるだろうと楽観視していた。

山本 私は母から「勉強しなさい」とかもあんまり言われたことがないし、漢字が書けないこともバレてないんですけど……。

千葉 バレてないって…(笑)。

『きょうも厄日です』では漢字が覚えられないからカンニングしていたと描いていましたね。前の席の椅子の裏にカンニングペーパーを貼り付けて、上履きに鏡をつけてその鏡を読み取るというのがもう…おもしろくて……!(笑)

山本 カンニングはめちゃくちゃしてましたね。でもその方法は失敗でした。反転しちゃうから全然読み取れなくて!(笑)

 あとはふつうに前の席の椅子に貼り付けたり、当時ナイキのリストバンドが流行っていたので、その下にびっしり漢字を書いた細い紙を巻いたりしてました。これは漫画には書いてないんですけど、よくやっていたのは、教室の中の掲示物を見ることですね。私、視力がとってもいいから、壁に貼ってある掲示物の字が見えるんですよ。学級通信とかのプリントの中からテスト問題の漢字を探して写してました。

千葉 その発想がすごい~!!

山本さほ「きょうも厄日です」より)

山本 漢字が多いから、歴史も苦手でしたね。「豊臣秀吉」の「ひで」が書けない、「とよ」も怪しい…みたいな状態なので、テストではなるべく文字をちっちゃくちっちゃく書いて提出するようにしてました。そしたら、文字の内側がぐちゃぐちゃっとなって、なんとなく正しく書けているように見えるんですよ。歴史の先生はおじいちゃんだったので、それでマルをもらえていました(笑)。

千葉 高校受験ではどうでしたか?

山本 とにかく漢字が書けないだけで国語は得意だったので、そんなに問題にはなりませんでした。受験の時点では、漢字に関してはもうあきらめていましたね。小学校の時にノートにびっしり漢字同じ漢字を書いても覚えられなかったという経験をして以来、勉強していませんでした。

千葉 そのあと美大の受験もされたんですよね?

山本 美大受験は英語・国語で100点・100点、デッサンで200点の合計400点で判断されるんですけど、学科試験がまったくできませんでしたね。絵は頑張ってたんですけど…。2年浪人して…もうそれ以上は頑張れなかったですね。

千葉 国語と英語の2教科で、漢字と英単語なしで合格点数を上回るのは……そうとう大変なことですよね…!!

山本 そういう意味では、もし発達性読み書き障害だと早くにわかっていたら、最初から学科試験のない絵の専門学校に行くという選択肢も出てきていたと思うので、早くに知れていたらよかったですね。

千葉 2年浪人して大学を諦めていて、それでも悲観的になっていないのはどうしてでしょうか。

山本 美大へ行けなかったコンプレックスはありましたが、字のせいだと思っていなかったし、字に関してはすごく楽観的に、大人になったら書けるだろうって思ってたんですよね。お母さんが書けてるから、きっと私も大人になったら書けるようになってるんだろうと。20歳になって、25歳になって、「あれ?小学校の時から変わってない」って気が付いて……(笑)。

 それでもフリーターの時はそんなに字が書けないことを意識しなかったんですよ。

山本さほ「きょうも厄日です」より)

漢字が書けないことで、親に怒られたことはなかった。

千葉 漢字が書けないことを意識したきっかけは?

山本 アパレルの会社に入って店長になったことですね。毎日日報を手書きで書かなければいけない環境だったので辛かったです。

 それと、お店が百貨店にあったのでお客様に粗相があると謝罪文を書かなきゃいけなかったんですが、それがもう書けなくて…。ひらがなが多い謝罪文は馬鹿にしてるみたいに取られてしまうし、誤字脱字なんてもってのほか。綺麗な字で漢字もたくさん使って書かなきゃいけなかったので何回も書き直しをさせられて辛かったですね。その時にすごく「字が書けない」ということを意識して、インターネットではじめて調べたのもそのころだと思います。それまではこういう障害があるって言うことも知らなかったし。

 親がもっと勉強しなさいってタイプで、あんたバカだとか言われ続けていたら、自分でも「漢字も書けないし、わたしってバカなんだ。頭が悪いんだ」って思って育っていたかもしれないな、と思います。

千葉 実際に、それで鬱になったりと二次障害を発症してしまうお子さんもいるみたいです。

 山本さんのお母さんは、まだ発達性読み書き障害という言葉もないころから、自然に山本さんのそのままを受け止めてくれていたんですね。それが山本さんの前向きな性格につながってる気がします。

山本 ラッキーだと思うんですけど、うちの親は苦手なことを無理やりさせたりしなかったし、とにかく「できること」をほめてくれてたんですよ。うちには、100点をとった答案用紙を入れる箱…せんべいのカンカンがあったんですよ。それがいっぱいになると、お母さんがおばあちゃんに自慢しに行くんです。「さほがこんなに100点をとった!」って。母からはよく「頭がいい」「頭がいい」って言われていたんで、自分でも頭いいって思ってたんですよね。できないことも責められないし、頭いいとよく言われていたので、漢字が書けなくても自己肯定感が下がるということがなかった。

千葉 すごくいいお母さん……!!

山本 あとは、得意なことを伸ばすというか、お絵描き教室とかにも通わせてくれて、絵もすごく褒めてくれて……。もし、絵なんか描いてないで勉強しなさいって言われていたら、今の私とはまったくちがう人生になっていたと思います。

千葉 わかっていてもつい怒ってしまうことがあるので、身につまされる思いです。

山本 でもそれは字が書けないことで…じゃないですよね?

千葉 部屋が汚いこと…ですね!(笑)

 ただ、ナツの場合、片付けられないのもADHDの特性なんです。ごみが床に落ちてること、散らかっていることにそもそも気づいてないから、片付けもできない。わかっているのに、私はつい「ここにもごみ…ここにもごみ…」と、言っちゃうのでダメですね。勝手に片付けるのも嫌がらないし、ものの場所が変わっていても気づかないぐらいだから、本人がいないときにこっそり掃除してやればいいんでしょうけど。

山本 私も部屋が汚いことはめちゃくちゃ怒られてましたよ。部屋で食べ物が腐ってたこともあります(笑)

苦手より、得意な世界で活躍できるようになってほしい。

山本 ナツちゃんも絵が得意って書いてあったので、字のいらない、字と関係ない世界にいければいいですよね。

千葉 ナツの絵、見ます? 親ばかを発揮しちゃいますけど……(スマホを取り出す)

 宇野先生にも親ばかでうまいうまいって言ってるって思われてたんですけど、本当に上手なんですよ!! ほら!

山本 わっ、うまい!! えええ、すごいうまいじゃないですか? 高校生!? この絵で漫画かいたら人気出そうですよ~!!

千葉 ところが漫画を描くのは難しいそうです。お話をつくるときに、考えている物語を字にして書いたりするのが苦手っていう部分があるそうで…。でも、これからは少しずつ描いてみたいと思っているみたいです。

 ナツはADHDASDも併発していて、読み書きだけじゃなくてそちらの影響でも苦手なことがとっても多いんですよ。たとえば〆切を守るとかも難しい。一度、私がアシスタントとして仕事を依頼したことがあるんです。そしたら納期までに仕上げたのに、送らないで自分のパソコンにデータを置いたまま出かけちゃったんですよ。仕事は描き終わったら終わりじゃなくて、納品するまでが仕事!!!と注意しました。

山本 う……私もスケジュール管理が苦手で……。

千葉 苦手とはいえご自分で全部できてるんですよね_

山本 できてる…と言っていいのかな。複数の仕事相手とやりとりしていたらメールの送り先や内容を間違えたり……ほかにもいろいろ言えないこと……ありますね。年に2回ぐらい本気で忘れることあります。打ち合わせに行かなかったり、生放送に遅刻したり

千葉 打ち合わせはともかく生放送……は、やばいですよね!?

山本 急いでタクシーに飛び乗って、1時間遅れぐらいで参加して…その場はなんとかなりましたけど、あとからやっちゃったことに対してすごく落ち込むので…それを年に1~2回…なくしたいですね。できればマネージャー的なひとがついてくれたらいいな、と思います。締め切りの管理を「いつまで!」ってばしっとしてくれるひと……。

千葉 私は、漫画は大したことないけど、そういうマネージメント能力だけで漫画家やっているようなもんですよ。締め切りを守ること、返信・対応の早さを売りに生きてるんで。

山本 それ……お母さん、マネージャーどうですか?

千葉 は! そんな手が…!? マネージメント料もらえるなら、スケジュール管理とクライアントとのやりとりできますよ。それ、いいかもしれない~!! 今度ナツにも話してみます。苦手を補完するという意味でもいいですよね。いいこと聞いた(笑)

山本 頼りになるお母さん!!! いいんじゃないですか?

『「うちの子は字が書けないかも」と思ったら』でも宇野先生が、その子の状態を親が受容し、苦手を責めずに、ほかのところで認めてあげることで、子は自信を喪失せず明るくいられるとおっしゃっていました。山本さんの前向きで明るい様子から、その言葉の大きさを感じました。